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例えば、著者からもらった原稿ファイルが消えたらどうなるか。
もしそうであったとしても、ここで「わたしは悪くない」などと主張してみてもはじまらない。
もちろん、ほとんどの場合、著者の側に元ファイルがあるはずだ。それをもう一度もらい直せばいいわけだが(というより、それしかないわけだが)、大なり小なり信用を失うことは確実で、少なくとも体裁のいい話ではない。個人でも会社でも厳しくむずかしい相手なら、怒られてもう原稿を渡してくれない、出入り禁止ということだってありうるだろう。
しかし、もっと恐ろしいのは元ファイルがないという場合である。新しいパソコンだけ使っていると、そんな馬鹿なと思うかもしれないが、少し前のワープロ専用機にせよ、古い時代のPC98シリーズにせよ、ユーザデータの記憶方法が基本的にフロッピーディスクしかないタイプのマシンがあり、ひとによってはそのオリジナルのフロッピーを、複製をつくらず送ってくる場合がある。冗談ではなく、世の中には本当にそういうひとも存在するのであり、フロッピーデータを失うことは、そのまま原稿の消滅を意味する。
上のケースは最近ではさすがに珍しいが、さいわい元ファイルはのこっていても、出版社の側で何カ月もかかって作業をおこなってきた編集ファイルが消えるという事態は、何の策も講じなければ、当然おこりうる。
同様の状況は、執筆者にとってはさらに痛手で、書下ろし途上の1年、2年かかった原稿が、あっという間に消えることもありうるのである。考えるだに、恐ろしい筋書である。
個人的な感覚でいえば、2、3日の仕事が消えても、まあ立ち直りは早いと思う。完全に同一の文章は書けないにせよ、締め切りにせめられていれば、すぐにやり直せるだろう。これが1カ月となるとショックは相当に長びき、もし1年以上の仕事が消えたりしたら、その原稿に関しては当分(あるいは永久に)、立ち直れないという気がしてならない。
そうならないためには、要するに「バックアップ」。これしかないのである。
紙の原稿というものは、長年の職業経験でいえば、そうそう滅多なことではなくならない。とくに、過失なしになくなることはまずない。しかし、それにくらべてファイル原稿は、たとえ過失がなくとも、一瞬にして消える場合がある。そしてバックアップがなければ、文字通り致命傷となりかねない。
だが、公平にいっておくと、逆にバックアップさえしておけば、パソコンはやはり便利で効率的な編集執筆のツールである。全体としてポジティブな役割をはたす道具であるからこそ、使い続けるためにはバックアップなのであり、その意識をもちさえすれば、これほど容易に同一の複製をバックアップしやすい装置は、世の中にないのである。
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